第400回記念寄稿文
TRC 400回記念、おめでとうございます。


学校法人慈恵大学 名誉教授
福田 国彦

 わたくしは1977年(昭和52年)卒です。直ちに放射線科に入局しました。その頃の東京レントゲンカンファレンス(以下TRC)は慶應大学放射線科の奥まった少し薄暗い場所で、西岡清春教授の司会で開催されていました。今、思い起こすと恐らく甲田英一先生ら慶應大学の若手放射線科医が会場の準備をされていたものと思います。当時のTRCは私の記憶の中ではセピア色ですが、その思い出は白黒写真の解像度が落ちないのと同様にとても鮮明に残っています。当時のわたくし達にとって、TRC、アンギオカンファレンス、毎月開催されていた関東地方会は放射線科医として学外でトレーニングを受ける三大イベントでした。中でもTRCは自分が当たることもあり、とても緊張した勉強会であったことを思い出します。

 会の運営にあたっては、社名が小西六写真工業の時代から、コニカミノルタジャパンには長きにわたり大変お世話になっています。わたくしがTRCに参加し始めた当時は未だコンプライアンスが緩やかな古き良き時代でした。会社の担当の方がカンファレンスの出題施設に症例の写真を取りに来たり、ディスカッサー施設には黄色いフィルムバックに容れて症例の写真を届けてくれたりしてくれていました。担当の方とも顔なじみになり「もう当番でしたっけ」などと言葉を交わしたものです。このように、コニカミノルタジャパンには、TRCの事務局を含め長きにわたりバックアップをいただいています。
 TRCの運営にあたっては、アンダーライン社にも大変お世話になっております。TRCとアンダーライン社との関わりは、遠藤啓吾先生が放射線科専門医会・医会(以下JCR)の理事長を務められていた時にJCRのホームページを開設することになり、これをアンダーライン社の草野いくよさんが担当していたことに始まります。JCR理事会では、会員の興味を引くコンテンツとして、TRCの症例をJCRのHPに掲載する案が出ました。これを実現させるためにTRCの症例をJCRのホームページに掲載することになり、TRCとアンダーライン社との繋がりが生まれました。症例提供の許諾を得る上でコニカミノルタジャパンにはここでもお世話になりました。現在でも、TRCとJCRのホームページには相互リンクが張られていますが、TRCのHPのトップページに“HP掲載に当たりコニカミノルタジャパンの協力を得ました”と謝辞が記されているのはそのような経緯があるからです。  
 現在はTRCの事務局はアンダーライン社に移転しています。長きにわたるTRCの継続は、コニカミノルタジャパンとアンダーライン社の多大な貢献によるものです。改めてお礼を申し上げたいと思います。

 さて、わたくしが代表世話人をしていた時に印象に残る出来事が二つありました。 
 一つは、著作権がらみの少し深刻な問題でした。既に対応済みのことですので、このような事態を再発させないためにも書かせて頂きます。ご存知のようにTRCでは、参加された皆さんの勉強目的で出題者の先生方には、カンファレンスで使用した症例の解説スライドの提供をお願いしています。ある時、アンダーライン社の担当者から、某先生から「解説の中で、RadiologyやAJRなどの画像や図表を引用しているものがあり、そのままHPに掲載されているようだ」との指摘がありましたが、どうしましょうという連絡が入りました。いつも建設的な意見を頂いている先生からのご指摘でした。著作権のからむ大問題です。急遽、TRCの世話人全員で手分けをして、HPに掲載された症例解説を全て遡ってチェックをしました。まさに冷や汗ものの事態で世話人として脇が甘かったと大いに反省をさせられました。ご指摘いただいた先生と解説の書き直しの労を取っていただいた先生方にこの場をお借りして改めてお礼を申し上げたいと思います。
 もう一つは、関西レントゲンカンファレンス(以下KRC)との関わりです。関西でもコニカミノルタジャパンの共催でレントゲンカンファレンスが開催されていることを知りました。そこで、東西で行われているフィルムカンファレンスの相互乗り入れや、症例を交換してスライドショーでそれぞれの会場で閲覧できないものか検討をしたことがあります。この交流が実現すれば、地域を越えて東西の症例に触れることができ、若手の修練やベテランの生涯教育に更に貢献できると考えたからです。当時は先方の代表世話人が村田喜代史教授でした。しかし、関西ではTRCとは違った方式で開催しているために、お互いの症例の貸借が難しいことが判明し、やむなく断念せざるを得ませんでした。しかし、TRCとKRCをどこかで括れないものかと考え、この企画を日本画像医学会に持ち込ませて頂きました。現在、陣崎雅弘理事長の下で日本画像医学会の会期初日の最後のセッションは“レントゲンカンファレンス”の定位置となっており、ここでまぼろしのTRCとKRCの融合が実現しています。もちろん、日本画像医学会においても“レントゲンカンファレンス”の共催はコニカミノルタジャパンです。TRCの設立メンバーのお一人である西岡清春教授は、放射線科医は臨床医と交わることが肝要であると考え、日本画像医学会を創設されました。東西レントゲンカンファレンスが日本画像医学会で実現したことは偶然ではなかったと思います。

 現在は、Covid-19パンデミックの影響を受けて、全ての学会・研究会やTRCのような勉強会がウエッブ開催や延期ないし中止を余儀なくされています。わたくしが今回、教育講演を依頼されている日本整形外科学会学術総会でも音声入りの講演動画を作成して参加者に視聴してもらうことになりました。Covid-19パンデミックの中、IT技術の進歩を背景に、世の中の働き方は激変しました。IT技術を積極的に導入している会社ではハイブリッドワークが急速に進んでいます。東京に住んでいた勤務者が東京郊外や近隣の住宅環境の良い地域に引っ越してリモートワークやハイブリッドワークをするのが当たり前になりました。このような社会環境の激変を目の当たりにすると、TRCと繋がりの深いJCRとが協力して、全国規模のレントゲンカンファレンスをハイブリッド方式で全国を巡回しながら開催するのも夢ではないように思います。

 このようにTRCは関東地域の若手放射線科医の育成とベテラン放射線科医の生涯教育において、大きな役割を果たしてきました。この度、400回目の開催を迎えたことはTRCが大きな社会貢献を果たしてきたことの証であると思います。今後、益々TRCが発展し継続していくことをお祈りしながら、最後に少しだけわたくしの夢を語らせていただきました。

2020年5月13日
Covid-19騒ぎの中、新緑の愛宕下にて