先日、甲田先生、齋田先生と同席したとき「東京レントゲンカンファレンス(TRC)がこの秋300回になるんですよ」と聞き、びっくりした。スタートしてから35年も経てばそれは当然のことかも知れないが、そのあとのわが国の画像医学の変容、進歩と思い合せて感慨がある。
北海道産まれ、育ちの私が、東京の"放射線"に初めて触れたのは1960年だった。5年のresidencyを終って帰国、札幌へ帰る前に立ち寄った慶応病院で放射線の加藤先生に紹介され、日医放関東地方会々員になった。北海道の放射線は、当時基礎と治療が主で、診断はそれぞれの診療科が独自に行っていた。毎月送ってくる関東地方会プログラムは、葉書の裏面に細かく印刷されており、診断関連の演題も多少あったように思うが、札幌と東京はまだまだ遠く出席はできなかった。東京の診断は、聖路加の野辺地篤郎先生、東大の田坂皓先生、その後慶応病院に新設された画像診断部初代教授の西岡清春先生らが中心になり、紳士的ムードだった放射線に徐々に熱気と変化のエネルギーが胎動し始めたように感じた。
1973年の1月、私はsabbatical的な1年間の米国生活の帰途、スタートして間もないTRCに出席したが、それは日本の診断の将来にいささか悲観的になっていた私を勇気づけるものだった。同年の6月、18症例のフィルムをかかえて札幌からTRCに参加、moderatorをつとめさせてもらった。読影討論者は当時の画像診断のスターともいえる片山、久留(順大)、加藤(日本医大)、石川(聖マリアンナ医大)、土井(聖路加)、平松慶博(帝京)、松林、草野(北里大)、蜂屋(東大)、鈴木(医歯大)、重田(女医大)の錚々たる諸先生で、適確で内容の濃いdiscussionは出席者をうならせるものだった(症例リストは末尾に掲載)。
Film interpretation sessionは、日医放春の学術集会、秋季大会などで、いつも大会場を満員にする人気プログラムだが、二つのタイプがあるように思う。一つは緻密、冷静なフィルム観察と正確な所見の表現、記載、臨床データと関連の上で論理的なdiscussionを展開、鑑別を行い最終診断にいたるものである。ここでは仮に診断が誤っても、その思考課程やアプローチの方法は、充分に教育的であり、司会者や読影者のゆたかで楽しい表現力と相まって、show的な雰囲気も醸しだされる。もう一つのタイプは、最近はあまり行われないようだが、snap diagnosisというか、読影診断のカン、センスを問われるようなものである。私が経験したのは、かつて(1950代後半)New York Roentgen Societyが毎月レジデント対象のレクチャーが終ったあとで行われていた。約10症例が示されるが、簡単な病歴とともにフィルムをOHPで投影する。1例あたりの時間は1分程度で、その間に診断名を紙に書き、まとめて提出する。所見を素早く読みとって条件反射的に診断を決めなければいけない(高点者のうち1位には25ドルの賞金がでた)。
画像診断法が多様化し、病態の理解も深く、複雑になっている現在、前者の論理的アプローチが必要であり、読影カンファレンスが単なる当てものを競う場になってはいけないだろう。しかし診断医に求められるもう一つの能力は、日常の勉強に裏付けられた読影のコツやカンを身につけることも必要でなかろうか。snap diagnosisであっても頭のなかのコンピュータのプロセスは弁証法的画像診断法(齋田幸久:画像診断 26 2006)になっているような診断訓練も必要と思う。
TRCも300回、35歳になった。30代は、女性は最も成熟した美しさ、男性は魅力ある知性、智恵を感じさせる年代であろう。さらに充実して楽しい診断の勉強、交流の場でありつづけていただきたい。
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